気づき

自分の選択に責任を持てば、人生の自由度が飛躍的に高まり生きやすくなる

太陽です。

人生生きていると、良い事ばかり起こるとは限りません。必ず嫌な事がありますよね。

嫌な目にあったり、嫌な事を言われて傷ついたり、嫌いな人に会わないといけなかったり。

嫌な事で頭がいっぱいになってしまう事だってあると思います。

そんな時には、どんな風に対処すればいいのか?どんな考え方が役に立つか?

今回は、僕が引きこもりから立ち直る過程で学んだ事や、自分自身の日常を観察して気づいた事をもとに、「嫌な事に向き合う方法」ひいては「自分の責任で人生を生きていく方法」について書いてみます。

なお、この記事の内容は僕自身が感じている事であり、万人には当てはまるものではないという事をご了承下さい。

目次

この記事を書いたきっかけ

今回、なぜこの記事を書こうと思ったのか? それは、過去にあった嫌な事を思い出して、その記憶に心を引っ張られてしまい、最近ずっと調子が悪かったんです。

そこからさらに過去を思い出してしまったり、調子の悪さを誰かのせいにしてしまったりと、悪循環にはまっていました。

そんな事をしている自分自身にも、自己嫌悪になっていたんです。

このままではいけないと思い、自分に向き合ってみた事と、これまでの人生での気づきを照らし合わせた結果、一つ気づく事がありました。

そして、それを実践する事で、人生の自由度が飛躍的に向上すると思ったのです。

要点をまとめておきたかった事と、こうして記事にする事によって、同じような気持ちで悩んだり調子を悪くしてる人の気持ちの整理の手助けになれるかもしれないと考え、記事にする事にしました。

結論:自分の責任で生きていく

その結論とは…「自分の責任で生きていかなければならない」という事です。

分かりやすく言い換えると、「人のせいにしない事」と言い換える事もできます。

どういう事かというと、【自分の人生の責任は自分にある】という考えです。

あなたは今この瞬間に、自分の人生をどう振り返りますか?

今自分が見ているもの、自分が感じている事。自分の持っているもの、自分の現状。

どんな人生を送っているか?やりたい事をやれているかやれていないか?自分に満足しているか出来ていないか?

どんな風に生きてきたか?

それが自分の人生であり、目の前の現実ですよね。

目の前の現実は、自分の選択の結果

さて…自分の今の現実って、自分の人生って、一体誰が作り上げたものなのでしょうか?

誰か他人が作ったものなのでしょうか?誰かから与えられたものでしょうか?

…違いますよね。全て、自分自身が選択を積み上げた結果、形作られたものです。

人生は、選択の連続です。生きてる限り、つねに選び続けていますよね。

「今日の夜に何を食べるか」「明日は何時に起きるか」という日常生活の選択。

「何に、どれだけ時間を使うか」という時間の使い方の選択。

「どんな仕事をするか」「将来のために何をするか」という将来の選択。

「どんな自分でありたいか」「どのように生きていくか」という人生の選択。

大なり小なりあれど、全て選択です。

そして、今の自分の目の前の現実は、大なり小なり選択をし続けてきた結果の積み重ねが現れていると言えますよね。

選択の責任は誰にあるのか?

そしてここからが本題です。

現実は、自分が選択をし続けてきた結果ですが… その選択って、いったい誰がしたのでしょうか? その選択の責任は誰にあるのだろう?

自分以外の誰かが選んだのでしょうか?自分以外の誰かの責任でしょうか?

…違います。選択は、すべて自分が自分の意思で行ってきたもの。選択の責任は自分にあるんです。

全ては、自分が選んできたんです。

目の前の現実は全て選択の結果で、その選択は全て自分が行ってきたもの。

つまり、目の前の現実=人生は、自分に責任があるんです。自分の選択に責任があるんです。

人生を自分の責任で生きるとは、自分の選択に責任を持つ事と同義ですね。

人のせいにするのは楽

自分の人生は自分に責任がある。それなのに、どうして他人のせいにしてしまうのでしょう?

僕自身、元ひきこもりだったのですが、ずっと親のせいにして生きてきました。今回調子を崩したのも、誰かのせいにしてました。

他人のせいにしてしまう理由、それは「楽だから」です。

他人のせいにすれば心理的に楽。他人の責任にすれば、自分に向き合わずに済みます。

自分に向き合う事はエネルギーや時間がかかる大変な作業なので、できれば回避したい。

人間と言っても動物という一面もあるので、出来る限り無駄なエネルギー消費を避ける本能が備わっていて、人のせいにしてしまうのではないかと個人的には考えています。

それだけ、自分の選択に責任を持つというのは、エネルギーがいる事なんですね。

ですが、自分の選択に責任を持つ事こそ、本当の意味で自分の人生を生きるために必要な事だと思います。

物事を誰かのせいにしてしまう事の危険性について考察した記事は、こちらをどうぞ↓↓

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選ばされている様に感じる選択の場合

ですが、選択の中には、「自分では選びたくないけれど、仕方なく選ばされた」という選択もあると感じる人もいるのではないでしょうか?

確かに、他人からの圧力が強かったり、しぶしぶ行った選択では、そのように感じられる事もあるのは間違いないと思います。

ですが、それすらも、最後に意思決定して選んでるのは自分なんです。

例えば僕は、「親の育て方が悪かったせいで引きこもりになった」とずっと考えていました。

『本当は引きこもりなんて嫌だが、親の育て方が悪く人生が生き辛くなったせいで、引きこもりを選ばざるを得なかったんだ!』という訳です。

それもよくよく観察すると、親の育て方の悪さをスケープゴートに使い、引きこもりになる事を自分自身で選んでいたと感じるんですよね。

自分はやりたくなかったのに、他人の圧力で無理やりやらされた…という場合も、心の最深部では自分自身の最終的な意思決定があると思っています。

他人に選ばされているように見えても、最後に選択をしているのは自分なんです。

不慮の事故の場合

他に、不慮の事故の場合を考えてみました。

例えば極端な例ですが、青信号で歩いていたら、信号無視の車にはねられて下半身不随になった。

これは、100%こちらに責任はありません。明らかに相手が悪いです。「これは相手ではなく自分の責任だ」とは全く言えない状況です。

そんな時はどうするのか。 僕自身、そんなひどい目にあった事がないから言える事なのかもしれないですが…

一つだけ言える事は、起こってしまった事は絶対に巻き戻せない。

しかしどんな状況でも、そこで自分が何を考え、どんな行動をし、どう生きていくかは、自分にしか選べないという事。そしてその選択の責任は自分にあるという事です。

僕に起こった今回の出来事も、自分に責任があった

冒頭に書いた、過去にあった嫌な事を思い出してしんどくなったというのは、結局は自分に責任があるという所にたどり着きました。

今にして思えば、他にもっと対応の仕方があったと思う、だけどそうしなかった。

それを選んだのは誰?自分です。それなのに誰かを責めたり悪く思うのは筋違いと気づきました。

そう考えると、その過去の嫌な出来事も、気づきのためのきっかけだったと思うんです。

気持ちはだいぶ楽になりました。今自分に出来ることを探し、自分の責任で選び、今後の人生に活かしていこう…と気持ちを切り替える事ができ、心は楽になりました。

まとめ:本当の自由とは?

以上、自分の選択に責任を持てば生きやすくなるという話でした。

自分の選択に責任を持てば、嫌な事でも向き合いやすくなり、乗り越えやすくなります。

もし今、嫌な事で頭がいっぱいになっていたり、人生に生き辛さを感じている人がいれば、これまでの自分の選択について振り返ってみて下さい。そこに必ず気づきがあるはずです。

ピンチの時はチャンスなんです。

自分の選択に責任を持つことで、人生の自由度が飛躍的に向上します。

最後に、自由について。

自由と言うと、皆さんは何を思い浮かべますか?

・お金がたくさんあるから、好きなものを何でも買える事?

・他人の指図を受けず、自分の好きに生きていく事?

・遊べる時間がたくさんある事?

人によって色んな自由の解釈があると思いますが、僕は本当の自由とは、【選択の自由】だと考えています。

自分の選択が現実を形作っている。そして自分には選択の自由がある。

という事は、自分の選択ひとつで現実を変えられる。これが本当の自由だと考えます。

自由って、「自らを由(よし)とする」と書きますね。由(よし)とは、理由・因果関係の事です。全ては自らに原因があるのではないかと思うんです。

自分の選択を意識しながら生きていきたいですね。

【この記事の3つのまとめ】

①自分の目の前の現実は、自分の選択の結果の積み重ねで形作られたもの

②自分の選択の責任は常に自分にあり、他人の責任ではない

③本当の自由とは、自分の選択で現実を変えられる自由

太陽