この記事を読んで頂いている人は、今現在ひきこもっている人とか、元ひきこもりだったとか、ひきこもり経験者が多いと思う。
ひきこもりになってしまった原因は人それぞれの理由があるだろうが…中でも、親からの悪影響を受けひきこもりになった人はかなり多いのではないだろうか。そこで今回から数回にわたり、「親が子にしてはいけない事」を書いていきたい。
この記事は、ひきこもり経験のある人はもちろんのこと、特に読んで頂きたい人がいる。それは、「これから親になる」人だ。もしくは、小さい子どもがいる親。
この記事を読み、親が子にしてはいけない事を知っておくだけで、子が傷ついてひきこもりになったり、心の病になる可能性を大幅に減らすことができると確信している。
目次
親が子どもに与える影響の大きさ
子どもにとって、親から受ける影響は限りなく大きい。特に小さい子どもにとっては親の影響力は絶大だ。
子どもにとって世界はせまい。家が、ひいては親が、世界の全てと言っても過言ではないくらいだ。
もし…そんな世界の全てと言ってもいい親から、心をえぐられるような悪い影響を受けたとしたら?
子どもの心は深く傷つき、一生その傷を背負って生きていくことになる。子どもにとっては地獄だ。それほどまでに、親が子に与える影響は大きい。
子を傷つけ、健全な成長を阻害し、破滅に向かわせるような親を「毒親」と呼ぶ。
知らないうちに毒親になる可能性
毒親は、まるで毒と思われるような、信じられないほどの悪影響を子どもに及ぼす。
そしてここで大切な事がある。暴力など、意図的に子どもを傷つけるのは論外だが、意図していなくても子を傷つけている事があるのだ。
子ともはとても繊細。親の何気ない一言が。ほんのちょっとした動作が。子どもの一生を左右する事さえある。
それを覚えておかなければならない。つまり、親に全くその気がなくても、知らず知らずのうちに毒親になっている可能性があるという事だ。
そして今回の記事の核。知らないうちに自分が毒親になるかもしれない、親が子どもにしてはいけない事。それが「比較」だ。
比較が何故いけないのか?
まず、最初にはっきり言っておく。
比較は虐待だ。心理的虐待の一種だ。
どうして比較するのがいけないのか、なぜ子どもの心を傷つけるのか?比較というのは、「すぐれている」と「劣っている」を判別し、そこから「良い」と「悪い」が作り出される。それが比較の構造だ。
人間、だれしも比較はしてしまうものである。それは疑いようのない事実だし、人間である以上仕方ない事と言えるだろう。
だが、比較は心の中だけで留めておき、言葉にしてはならない。言葉にしたが最後、比較は相手を傷つける凶器として具現化される。
そしてここからが問題だ。たいていの親が自分の子を誰かと比較する時、その比較対象は自分の子どもより優れたものが選ばれる。
『〇〇の家のあの子はあんなに成績が良いのに、それに比べてうちの子は…』というもの。
これが親が子どもを比較する時によく起こる構図だ。親は軽い気持ちで比較してるのかもしれない。だが、子どもには重くのしかかる。
子供にとって親からの比較は、「今のお前は悪い」というメッセージそのものだからだ。ひいては、お前には価値がないというメッセージそのものだからだ。
比較されると、一体どうなるのか?
親から比較され続けた子供は一体どうなるのだろうか?
まず、子どもの自尊心が失われる。【自分はダメな子】という気持ちが強くなり、劣等感にさいなまれ、自己否定感がどんどん強くなっていく。
次に、その子ども自身も比較をする人間になっていく。つねに自分と誰かを比較するようになっていくのだ。
比較を繰り返すことで、ますます自己否定感が強くなり、子どもは人生を生きるのが辛くなっていく。難易度の高い人生を送る事になる。
心の病になったり、ひきこもりにもつながっていく。
そうしてその子が大人になり、次の世代の子どもが生まれたらどうなるか?次の世代の子どもも、また比較を受けながら育つのだ。こうして、比較という心理的な虐待は親子の世代間で連鎖していく。悲劇が連鎖していくのだ。
比較され続けた僕の実例
僕は母親から、誰かと比較され続けて育った。前述の通り、僕よりも優れた他の誰かと比較され続けた。比較内容は、勉強に関することが多かった。ただ比較されるだけでなく、半ば小馬鹿にされながら比較された。
「お前が〇〇点しか取れなかったテストで、あの子は満点を取ったわ」
「あの子は塾の特待生で、こんなに難しい問題を解いている。お前に出来るん?」
「(僕の大学浪人が決まった時)となりのあの子、難関大学に合格したらしいわ!」
物心ついた時からひきこもりなるまで、徹底的に比較の言葉を浴びながら育った。
また、僕には兄弟がいるが、その兄弟とも常に比較されて育った。兄弟よりもテストの点が悪いと、容赦なく罵倒された。
比較対象は人間だけにとどまらず、アニメのキャラクターまで引き合いに出されて比較された。
そうして比較され続けて育った僕は、心を病み、20歳の頃に引きこもりになったのだ。
僕の母親は、間違いなく「毒親」だった。書いていて昔を思い出して悲しくなってきた。
虐待の連鎖を止めるのが使命
ひきこもり生活は地獄だった。だが僕は幸いにも、かなりの時間を要したがひきこもりから脱出することができた。母親とは色々あったものの、すでに和解している。母親は今はもう毒親ではない。
だが…僕の人生の難易度がとてつもなく上がったのは間違いない。
健全な自己肯定感は、今でも持てていない。それに油断すると、暗黒面に心が落ちそうになる。もう少しマシな母親だったら。もう少しまともな育てられ方をしていれば。こんなに苦しむことはなかったはず。
僕に将来、子どもが生まれて子育てをする時があるかもしれない。その子にだけは同じ思いをさせてはいけない。
親子間で連鎖する比較の虐待は、僕の代で終わりにしなければ。それが虐待とひきこもりを経験した、僕の使命だと思っている。
僕と似たような境遇の人もいるかもしれない。悲劇の連鎖は、ぜひあなたの代で終わりにして頂ければと切に願う。
まとめ:比較は虐待
もう一度はっきり言っておく。
比較は虐待だ。比較ばかりする親は、毒親だ。
親からの比較は、子どもの心を傷つけ、自己肯定感を著しく低下させる。その結果、子どもは心の病になったりひきこもりになる確率も大幅に上がる。比較は、親が子にしてはいけない事の最たるものだ。
他にも、親が子にしてはいけない事がたくさんあるので、それも今後書いていきたい。
また、毒親に毒されて、すでに健全な自己肯定感を持てないと絶望している人もいると思うので、そんな人はどうすればいいのか?自分を大切にできるのか?僕なりの自己肯定感の育て方を今後書いていく予定だ。
とにかく毒になってはいけない。
【この記事の3つのまとめ】
・比較は虐待。比較し続ける親は毒親
・子どもは比較され続けたら心を病み、一生苦しむ可能性がある
・悲劇の連鎖は、自分の代で終わりにする
太陽